道(たお)の二次元道

二次元大好きな私が、作品の感想についてを書き綴る

新感染 ファイナル・エクスプレスはゾンビ映画ではなく親子愛だ

2016年公開(日本では2017年)の韓国のゾンビ映画

 

韓国映画は好きで見ているがゾンビ映画には興味がなかったので見るのを先延ばしにしていたが大変後悔した。

これはゾンビ映画であるが、それ以前に韓国映画なのだ。

韓国映画のあの人間の感情を動きの表現が好きな人間は是非とも見て欲しい作品

ネタバレアリ

 

 

ゾンビ物として

ゾンビ映画をあまり見たことがない人間のイメージするゾンビとはどのようなものであろうか。

やはり、挙動がゆっくりで人を襲うようなタイプを想像するであろう。

 

本作のゾンビは以下のような特性を持つ

・噛まれたら感染する

・感染をさせることが目的のようで食事のために人を食べているわけではない

・動きは俊敏であり、走ることも可能

・力は人並み程度

・視覚があり、人を認識することができる

・暗闇の中だと、視認ができない

・聴覚があり、音のする方向に興味を示す

・知能はなく、扉をあけるなどといった行動はできない

 

ゾンビ物も結構多様なものになっているようで、俊敏なゾンビで言えばワールドウォーZは有名

あの作品は走るゾンビ+大量の感染者のためド迫力であったが本作も系統的には同様のものである

 

本作の面白いところとして、タイトルの通り新幹線の中で感染者に襲われることとなる

新幹線の作り上、一方向にしか逃げることができないことによって逃げ場の強制化

また、車両ごとに別れることによる安全地帯と危険地帯との分離

ゾンビの設定として暗闇の中では識別することができないことや、音に反応することを利用しての逃亡劇などは新幹線という特性を活かしたものになっている

舞台を新幹線に設定することにより、ゾンビ物としての状況づくりが良い塩梅で設定されていることを賞賛したい。

 

親子愛

では新感染はゾンビ物(定義的にはゾンビパニックが正しいのかもしれない)としての認識で良いのかと言うとそうではない。

私個人の意見としてはあくまで親子愛がメインテーマのように思える。

比較的裕福な生活をしている親子(妻とは別居)であるが、父親(ソグ)に構ってもらえず寂しい思いをしている娘(スアン)

学芸会で父親のために歌を唄うつもりでいたのに、ソグは来ず歌いきることができなかったことがこの親子の話の軸になる。

 

新幹線の中でスアン守るために奮闘するソグを見て、次第に父親との絆が深まっていく。

しかし、最後にはソグも感染してしまう。

ソグは娘と妊婦のソンギョンを感染させないため列車から飛び降りることを決意

親子の最後の会話、そしてスアンの『パパ、行かないで』のシーンは感動ものだ。

 

そしてなによりこの映画の最高地点は最後の父親と別れ、トンネルを歩いていくスアンとソンギョンのシーンである。

ここで、トンネルを歩く中泣きながら歌うスアン

歌う歌は、学芸会で父親に聴いてもらえることのできなかったあの歌『アロハ・オエ

アロハ・オエはハワイの歌で愛する人との別れを唄う歌のようだ

『また会う時まで』

学芸会で歌うこの歌は、忙しい父親と接点がない寂しさを唄ったものだったのだろう。

(もしかしたら、別れを告げて母親のいる釜山に旅立ちますかもしれない)

これが父親と別れを含んだところで回収されることにより寂しさと切なさがより一層深まってでてくる。

この楽曲の回収の仕方は本当に見事だなと思いました。

 

韓国映画故に、最後射殺されてエンドが本当にありえるかもしれないなと思ったところでのこの歌でやられてしまいました。

 

人間の醜さと自己愛性

 

やはり韓国映画と言えば人間の醜さみたいなものを凝縮した所がしっかりと描かれているところにあると思っている。

 

本作も危機的状況の中での人間の醜さは非常に表現されているが、特に気になったのは自己愛と身内愛である。

 

自己愛は勿論人間であれば誰しもが持っているものだ。

本作では、バス会社の常務であるヨンソクを筆頭に安全な車両にいる人間の醜さが特にひどい

安全な車両にいることから、自分たちは感染をしていないため余所の車両から逃げてきた人間が感染していると危ないということで排除を始める。

これは、特殊な状況下だからこそ顕著にそして醜く映るが実社会でもこのような自身とは関係がなく、また自分の身に影響が出るようなものに対しての攻撃的な姿勢は存在する。

非常に見ていて不愉快な気持ちに一方、人間の醜さが突き付けられているようでなかなかに複雑な気持ちになってしまう。

 

一方で身内愛だが、他人よりも知っている人間を優遇してしまいたくなる気持ちはあるだろう。

物語当初のソグなどもそうであったが、特に醜さを感じたのは高齢姉妹の内のジョングルである。

ジョングルは安全な車両に無事逃げることができたが、姉であるインギルとはぐれてしまい落ち込む。

その中で、ジニ(JK)はヨングク達がコチラ(安全な車両)に向かっていることを知り、迎えてくれるように頼むが誰も賛同をしてくれない。

ヨングク達の中にはインギルもいたのだが、結局扉を閉めてしまっていたことでインギルも感染してしまう。

そのことに絶望した、ジョングルは感染者たちを閉鎖していた扉を開けてしまう。

姉がいることがわからない間は知らんぷりをし、姉が感染した途端に周りが騒いでいることに対して俯瞰した目で見て馬鹿にし挙句の果てに感染者を解放してしまうこの気持ちさはなんであろうか

 

自己愛、身内愛の気持ち悪さの両方が危機的状況の中で浮き彫りにされていくのもまた本作の魅力の一つであろう。